2018/05/24
英語大好きからの挫折、英語コンプレックスのはじまり【教えて!留学エージェントの裏側 小野里 寛子 #1】
私のこれまでの歩み
こんにちは!これまでたくさんの方の留学体験談をご紹介させていただいていますが、私についてなかなかゆっくりお話する機会がありませんでした。
「英語がもともとできたんじゃないか」などと言っていただくこと多いのですが、まったく違うんです!
これから毎週火曜日は、そんな私の体験談をご紹介させていただきたいと思います。留学行く行かないに関わらず、前に進みたい方のヒントになれば幸いです^^
留学の達人Hiroko
英語も海外も外国人も苦手
セブ留学に行って、留学エージェントを始めて5年目になります。
留学に行って、人生の何もかもが変わりました!
正直言って、自分でも驚いています!
「エージェントをどうして始めたんですか?」
「英語が初めからできたんじゃないですか?」
「外国人好きだったんじゃないですか?」
など言っていただくことが多いのですが、実は留学に行くまでまさかこのような未来が来るとは思っていませんでした。
起業は考えたこともなかったし、英語も、海外も、外国人も苦手だったんです!
ただただ
「このままの人生でいいのか」
「人生の可能性を拡げたい」
と思い悩んで、目の前のことを必死でやって生きてきました。
留学前はファッション業界で働いていました
最近これまでの歩みについてお話する機会が増えてきておりまして、「勇気が出た」「私もできるかもしれないと思った!」と言っていただくようになりました。
私は高学歴でも、すごいキャリアがあるわけでもありません。
どちらかというと夢を見失って諦めていたタイプです。。
この体験をお伝えさせていただくことで、突破口を開きたい方が前に進むヒントにしていただけたらと思います^^
英語が好きだった中学時代
「もともと英語ができたんでしょ」と言っていただくことが多いのですが…
はい。中学生の頃は英語が大好きでした!
英語(だけ)は得意で、テストは最低でも95点以上で学年トップじゃないと気が済まないような、プライドが高〜い中学生でした!
(数学は苦手で偏差値は30台でしたw)
当時から「将来は自分の経験を活かす仕事に就きたい」と思っていたので、好きだった英語を活かして、中学校の先生になりたいと思っていました。
また、海外にもとても憧れていました。
古くは「アメリカ横断ウルトラクイズ」に始まりw
ピチカートファイヴのCDやポスターを眺めながら
「海外っておしゃれで素敵な建物がいっぱいあっていいな〜」と憧れていました。
初めての国際交流で気づいたこと
そんなある日、日本に研修に来たイギリス人グループが英語の授業に参加する機会がありました。
生まれて初めての海外の方との交流です。
クラス中が緊張して、顔が真っ赤になりながら、英語を話しました。
覚えていることが、2つあります。
1つは、授業が終わってからクラスメイトに日本語で話しかけられた時に、頭の中に英語が浮かんだこと。(英語脳!?)
もう1つは、英語の先生の英語が通じてなかったことです。
「先生でも通じないことってあるの!?…日本の英語教育ってどうなってるの!?」と驚きと疑問を持ったことを今でも覚えています。
挫折と英語コンプレックスのはじまり
高校生になってからも英語の勉強だけは好きで(数学や生物は赤点)、引き続き英語に対してのプライドがありました。笑
夏休みが近づいた頃、アメリカへのホームステイ体験が学校から案内されました。
ホストファミリーの家に滞在して生活するプログラム。
憧れのアメリカ!楽しそう!行ってみたい!
周りの友達も英語好きが多くて、この話題で盛り上がっています。
私も親に話してみることにしました。
まさかの大反対
家に帰って母に相談しました。
お金が結構かかりそうだから、言いづらいな…と思いながら。
すると母からの返事は…
「アメリカに行ったら銃で撃たれるからだめ!」
と、大反対!
海外=危ない!ダメなものはダメ!と聞く耳を持ってもらえません。
(注: 箱入り娘ではありません。どちらかというとスパルタ教育)
一方、仲良しの英語好きのクラスメイト達は行くことになりました。
いいな…
現地の学校にも行ったりするみたい…
いいな…
正直言って、ショックでした。
私ってだめなんだ…海外って怖いんだ、行けないんだ…と思い込むきっかけになってしまいました。
そしてさらに衝撃的なことが起こりました。
英語が話せない恐怖
それでも英語の勉強だけは好きだった私は、コツコツと英検の資格を取得していました。
そんなある日、英検の二次試験の面接のために、イギリス人の英語の先生に、空き時間に面接の練習をしてもらえないかお願いに行きました。
先生は「もちろんいいよ〜」と言ってくれて、いざレッスンが始まりました。
そして先生が英語で私に話しかけてきたのですが・・・
なんと、答えられない!
さっきまで普通に喋っていたのに、英語になった途端に急に緊張して全く話せなくなったんです!
自分でも自分にびっくりしてしまいました。
質問に答えられなくてオロオロしていると、イギリス人先生が
わざわざ日本語で…
「全然ダメだね」
と言ったのです。
その一言でレッスンは終わりました。
英語ができると調子に乗っていた私は、全く話せないことのショックの上に、わざわざ日本語で「全然ダメだね」とバカにされたことにダブルでショックを受けました!
もうプライドはズタズタです。笑
「英語のテストの成績は良いけど、全く話せないんだ…」
↓
「英語を話すことが怖い」
↓
「もう英語を話したくない、私はできない」
あんなに好きで、できる!と思っていたのに、一気に苦手なものになってしまいました!
英語も苦手になってしまって目標を失いかけた私は、英語の先生になる夢も諦めました。
将来は好きなことを仕事にしようと決めて、専門学校へ進学することを決めました。
専門学校なので大学受験はありません。
英語の勉強は高校を卒業するためだけの、最低限のものになってしまいました。
就活のネックも英語!
私が志したファッションブランドのプレス(広報)職は、とてつもない人気職でした。
必須条件としては
- (誰も言わないけど)美貌
- (誰も言わないけど)コネ
- そして、たいていの募集要項には書いてあるのが「英語力」でした。
読みあさるほど雑誌が大好き、企画して何かが作りたい!その想いは人一倍ありましたが
美貌もコネもなく、英語がコンプレックスになってしまった私は、自信がなくて応募すらできず…
いつの間にか英語だけでなく、夢まで遠ざかってしまい、目標を見失ってしまったのです…
(つづく)
まとめ
初回から暗くてすみません!笑
英語どころか、諦めてばかりの人生だったんだな、と書きながら情けなくなりました。笑
英語が話せなくて、先生にバカにされたことは本当にショックでした。
今なら「気にしなくていいよ!」「やればいいじゃん!」と思ってしまいそうですが、当時は「自分はできない」と思いこんでしまいました。
今書きながら、あの頃に褒めて伸ばしてくれるフィリピン留学に出会っていたら、どんなに良かっただろうとしみじみ…(当時はまだフィリピン留学はありませんでした)
今後は「英語ができないのに外資系で勤務することになった編」などなど書いてみたいと思います。お楽しみに!
続きはこちら
こんなはずじゃなかった!絶望からの転機【教えて!留学エージェントの裏側 小野里 寛子 #2】
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