セブ留学でわたしの人生が変わった!
日本人を世界へ!
私は2012年の春にフィリピン・セブ島へ英語留学に旅立ち、5ヶ月間留学に挑戦。そして1年半滞在して、現地を知り尽くしてきました。
思い切って留学に挑戦したことで、念願だった英語が話せるようになり、人生が変わりました。まさか、こんな日が来るとは思ってもいませんでした。
留学といえばアメリカを考えていた私が、なぜフィリピンを選んだかお話させてください。
2011年3月の東日本大震災をきっかけに、日本の企業は海外に目を向けないと生き抜けないという時代になってきて、英語が話せなかった私は焦りを感じていました。
当時勤務していた外資系企業は、帰国子女や海外の大学を出た優秀な人が多くて英語がペラペラ。
好きなことを仕事にしたくて服飾の専門学校を出た私は、周りの人のような学歴がない上に英語に自信がありませんでした。
海外からの電話に上手く出られないし、外国人の社員と挨拶するだけでも緊張してしまいます。
単語一つ言ったり、書いたりするたびに間違えてないか気になり、恥ずかしくていつも肩身の狭い思いをしていました。
何とかしたくて英会話スクールに通い始めてみたものの、周りは楽しそうに話しているのに、言葉が出てこなくて会話に入れない。
時間とお金だけがなくなっていく・・・
さらに、残業続きの毎日で、とても勉強する時間やエネルギーがありません。
いつの間にか諦めてしまい、英語コンプレックスの塊になっていました。
その頃に30代を迎えて、10年後のキャリアについて考えました。当時は夢だった仕事に就けて充実した毎日でしたが、非正規社員だったので契約制。いつか仕事がなくなるかもしれないという不安がいつもありました。
また、女性の30代といえば結婚や出産のタイミングもあるかもしれません。
もし結婚して子どもができて社会復帰するとしたら・・・
その頃の日本はどうなっているのだろう?
毎年若くて有望な人が社会に出て行く中で、10年後の私を雇いたい会社はあるのかな?
現実に向き合ったときに、40代以降に当時のスキルやキャリアで、今以上の仕事に就けるとは思えませんでした。
そんな最中に、会社の体制が変わり、雇用契約が終了することが告げられました。人生の崖っぷちにいることを痛感しました。
「このままではマズイ・・・人生を変えたい、何とかしたい!」日本はその頃、国際化といわれるようになり時代が変わって行くのを感じていました。
「きっと10年後は、みんなが当たり前のように英語を話しているかもしれない。
このままだと時代に置いてかれてしまう。今はまだ話せる人が少ないから、今頑張れば人生を巻き返せるかも」
そうして、これからの時代を生き抜く手段として、”英語力”を手に入れるために留学を決意しました。
私は留学に行ったことがなく、海外も数回しか行ったことがありませんでした。
当時はセブ島留学のことは知らなかったので、本場といわれるアメリカへの渡航を考えていました。
しかし、実際に調べてみると、ゼロに近い英語力の私が効率的に身に付けられるように思えず、気が進みませんでした。
- ・グループ授業がメイン(日本の英会話スクールでも話せないのに、外国人の中で話せるの?)
- ・学費や生活費、手数料が高額
- ・学生ビザの取得が難しい
(例えば独身で適齢期の女性は結婚移住目的と誤解されて、せっかく準備してもビザがおりない可能性が高い) - ・学生ビザの習得に時間がかかる(仕事にブランクを空けることに抵抗がありました)
- ・慣れない海外で家事や通学をしながら、英語学習までのエネルギーが注げるのか?
- ・おしゃれで素敵な環境だけど勉強以外にエネルギーを使う誘惑が多い(ファッションなど)
- ・そもそも海外自体慣れてない不安
これは相当な時間とお金がかかると思いました。
仕事のブランクを空けずに、何が何でも短期間で集中して英語を身につけたかった私は、フィリピン留学に出会った時にその画期的なシステムに驚きました!
- ・マンツーマン授業がメイン
- ・欧米留学より学費も生活費も格安
- ・アメリカ、イギリスに次いで世界で三番目に英語を話す国
- ・第二外国語として小学生から英語を公用語として学んでいる。
- ・事前のビザ申請がいらなくて学校が手続きしてくれるから楽チン
- ・3食掃除洗濯付きだから学習に集中できる
- ・ガードマン付きの寮生活だから安心、通学に時間が取られない
- ・途上国だからこそおもしろそう
そしてセブ留学へ行くことを決めて、思った以上に充実した留学生活を過ごしていました。
友達もでき、勉強も一生懸命して、段々と将来への新しい目標を思い描くようになっていました。
しかし、ある日突然留学の夢が絶たれてしまうトラブルが起こりました。
留学の延長手続きの行き違いから、突然学校から今週で卒業するように、それも3日後に寮を出るように言われてしまいました!
記録は残っていたので抗議をしましたが、日本の常識は全く通じませんでした。
(今ではセブ留学の体制が整ってきて日本人スタッフも多くいるのでこのようなことはありません)
志半ばで突然フィリピンに放り出されてしまい、ショックと絶望で何も考えられませんでした。すぐにでも日本に帰りたいくらい本当に辛かったです。
しかし、「英語が話せるようになるまで日本に帰らない」と覚悟を決めていたので、何が何でもやり抜こう、と乗り越える決断をしました。
すると、周りの人たちが協力してくれて、外国人でも住みやすいホテルに引っ越しすることができ、親しい外国人の友人達を招いて英語でクッキングをしたり、映画を観たりショッピングに行ったりしながら実践で楽しく英語を身につけるようになりました。
一見不幸とも思える出来事でしたが「こんなに日本人にとって素晴しい場所だからこそ、こんなことがあってはいけない、セブ留学の本当の良さをたくさんの日本人に伝えよう!」という強い想いに変わり、結果的にエージェントを始める大きなきっかけになりました。
その頃にはセブ島留学のブームの兆しがあり、新しい学校が次々とでき始めてきていました。
見学に行ってみると同じ値段でも全く内容が違うことに驚き、学校見学が楽しくなりました。
この学校は◯◯さんに合いそう!△△さんだったらこの学校が合いそう!こんな学校に通ってみたかった!
そのうちに、本場を一度体験してみたいという思いが募り、アメリカにも行くことを決めました。
ネイティブ環境のロサンゼルスの学校は、きっとすごいのだろうと楽しみに向かいましたが、学習に集中できるセブ留学に慣れてしまった私は、グループレッスンがメインでのんびり学んだり、若い人が遊び半分で来ている現状を目の当たりにして、真剣に身につけたい社会人や初心者にマッチする場所に思えませんでした。
そこで気づいたのは、マンツーマン授業だからこそ短期間でしっかり身につけられる、セブ留学の実力や、英語を自ら学んできたからこそ同じ目線に立って教えることができる、フィリピン人講師の能力の高さでした。
セブ留学のおかげでほぼゼロだった英語力は、一人旅や日常生活に困らないほど身につけることができた上に、寮生活で様々な国籍の人たちと一緒に生活したおかげで、国際感覚やコミュニケーション能力も身に付きました。
それらはこれからの時代に欠かせない能力のように思います。
アメリカを通してフィリピン留学を客観的に見直した時に「フィリピン留学はこれまでにない21世紀の留学で、日本を変える!」と確信しました。
しかし、大手の留学会社では紹介しづらい場所なのか、日本ではまだまだ知られてなかったり否定的だったり、日本で聞いた情報と現地で実際に見た情報とはずいぶん違うことに疑問がありました。
セブ留学は日本のみんなが悩んでいることが解決する場所なのに!これはぜひ日本のみなさんにお伝えしなくては!そんな想いから情報発信を始めました。
そうするうちに留学相談を受けるようになり、当初はボランティアで行っていましたが、私のような留学経験がある人の客観的な意見や、現地で実際に足を運んで学校を見比べて来た情報個人の本当の意見が社会で求められている事を強く感じて、2013年エージェント業をスタートしました。
現在では30校を超える語学学校と契約をし、これまでに13歳の中学生の夏休みひとり留学から70代のシニア留学まで、幅広い方々の留学サポートをさせていただいております。
学校選びに関しては、その方に会って話をすればどんな学校が合うのかすぐに分かり、その方に合う学校選びや留学プランのコーディネートを得意としています。
自分自身の留学経験からの失敗や成功を活かして、これから旅立つ人のためになることを常に考えてサポートを行っています。「留学行ってよかった!」とみなさんが留学して笑顔で帰ってこられることが、私の原動力となっています。
留学前は自己紹介もできないくらい英語が話せない上に、年齢的にも今さら無理だろうという気持ちも少しありました。しかし、セブ留学を通して英語コンプレックスを克服し、新しい人生をスタートさせることができました。
誰でもいつでも始めることができるのがセブ留学です。
今後こそ英語が話せるようになりたい方
背中を押して欲しい方人生を変えたい方
いつでもご相談ください。
私は留学の仕事にこれまでの経験や情熱を注ぎ込んでいます。一緒に未来を切り開いてみませんか?
強い日本人がひとりでも増えて、日本が元気な国に変わることを願っています!
イングリッシュバード代表 小野里 寛子
小野里 寛子 プロフィール
1981年 群馬県前橋市生まれ。
■20代〜
将来好きで得意なことを活かした仕事に就くために服飾の専門学校を卒業後、ファッション業界に進んだものの現場よりも組織やしきたり重視の会社員としての働き方が肌に合わず、悩み続ける毎日。
スキルアップを図るために派遣社員を利用して販売、営業、人事と経験。努力を重ねた結果、夢だった外資系ラグジュアリーブランドの広報に就く。
ヨーロッパや香港のオフィスとの日々のやり取りの中で英語のできなさを痛感。留学を決意。
■2012年4月
人生を巻き返すために30代で初めてのフィリピン・セブ島へ英語留学に挑戦。英語コンプレックスを克服。
アメリカ・ロサンゼルスの語学学校へも見学に行き、セブ留学の実力を確信。
■2013年2月
情報を発信するうちに口コミで広がり、留学エージェントを起業。
1年半のセブ島滞在を経て9月に帰国。
■2014年〜現在
留学経験を次の人生に活かせるよう、留学の先にある海外就職や転職までサポート。
セブで得られた英語力を使って、アジアやアメリカまで飛び回っています。
プライベートでは英語学習法シェアの朝活を主宰し、日本でもできる学習法も研究中。
■モットー:百聞は一見に如かず Seeing is Believing
評判やインターネットの情報で判断するのではなく、足を使って現地に行き自分の目で確かめることを一番にしています。
海外経験がほとんどないまま、初めての留学!
意外と思われるかもしれませんが、初めての海外は2008年27歳のときに行ったハワイ旅行でした。
海外や外国人への苦手意識があった私はなかなか踏み出せませんでした。悩みやコンプレックスの塊だった私は、海外の人の底抜けの明るさやポジティブな考え方に衝撃を受けて、もっと自信を持って前向きに生きて行こうと思いました。海外に出ることの大切さを実感しました。
セブ留学前は、ひとり旅をしたことがありませんでした。だけど、初めての留学がセブ島で本当に良かったと思っています。まず、空港まで学校にスタッフが迎えにきてくれるので安心。人々が親切で意外と治安がよかったです。なにより、フィリピンの講師の教える能力の高さに驚きました!
フィリピン講師は同じアジア人の中でもひときわ優しく、同じ目線に立ってくれます。
初めは英語を口にするだけでも精一杯だったのですが、間違えても明るく励ましてくれるので、心を開いて学習に取り組めるようになりました。
留学前はフィリピン人講師は賃金の安さだけが魅力と思っていましたが、ネイティブには中々ない忍耐力や教える能力の高さは初心者には特に合っていると実際に授業を受ける中で気づきました。
留学をを通して色んな国の人と出会ったおかげで、それぞれの国の人の感性や考え方の違いを学べたので、コミュニケーション能力が付きました。
今ではその経験を旅行や仕事に活かしています。
初心者から留学に挑戦
留学前の英語力
入学時のレベルテストでは 「ビギナー LOW」(初級の一番下)
5ヶ月後の卒業時には 「インターミディエット HIGH」(中級の一番上、上級の入口)
高校生の頃に英検2級を取りましたが、筆記はできても面接(スピーキング)がとにかく苦手でした。学校のイギリス人講師の先生に試験対策をお願いしたら、あまりにも話せなくて 「全然ダメだね」とわざわざ日本語で言われてしまうほどでした。(とってもショック!)
「昔はできた」英語も、年とともにスッカリ忘れてしまったため、留学を機に中学英語をはじめからやり直すことにしました
英語上達までの道のり
留学ヒストリー
2011年10月 | 海外に行くことを考え始める |
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11月 | 退職を決める(留学について調べ始める) |
2012年 1月 | 退職(憧れのアメリカ行きを検討していたが、セブ留学に出会いここなら身につくと思って留学を決める) |
4月 | 留学スタート(まず朝8時からの授業を受ける生活に慣れない。寮の近くにいるニワトリと犬が夜中じゅう鳴いてて眠れない。周りは英語を話す外国人がいたり、カルチャーショックの連続で生活に慣れるので精一杯。勉強どころの騒ぎではありませんでした。) |
5月 |
4週目くらいからようやく慣れて本腰が入ってくる。 少し英語が話せるようになってきたので、学生スタッフとしての学校の手伝いを初めて学校の中身を知る。 |
6月 |
ようやく英会話が楽しくなってくる。英語脳ができ始めて、2週間に1度くらい数日間日本語を断たないといられなくなる。教科書を読み、イヤホンで英語を聞きながら朝食を食べて、食後はひとりで発音レッスン。夜は向学心のある仲間と夜中まで勉強。 英語の伸びにスピードをつけたく悩んでいたら、英語の先生がプライベートレッスンを提案してくれて、先生や先生のガールフレンド達と毎晩4〜5時間一緒に過ごし、カフェのオーダーなど実践で英語を身につける。 |
7月 | グループ授業に飽きてしまい、すべてマンツーマン授業に変える。ベテラン講師に、3ヶ月いるとは思えないくらい上達してないと叱られて、焦りと悔しさで泣きながら授業を受けた結果、飛躍的に上達。英語を使って仕事をしたいと思うようになり、現地のアメリカ系企業の面接に挑戦。 |
8月 | 英語上達のコツが掴めるようになり、もっと実践で使うために、土日の休みを使って離島へひとり旅。現地の人との交流で英語を使う楽しさを実感。先生と相談して、1ヶ月後の卒業を決めて、学習計画を決めた矢先に突然卒業するトラブルに見舞われる。 |
9月 | 突然卒業することになり、フィリピンに放り出されたが、周りの助けがあり初めての海外ひとり暮らしをスタート。英語でクッキングをしたり楽しく英語を身につけ始める。また、セブの他の学校の見学も行くようになる。 |
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10月 | 習っていたアメリカ人講師に、アメリカに行くことを薦められる。この頃から留学相談が増えてくる。 |
11月 | 今後について考えるために一時帰国した所、留学相談が殺到。 |
12月 |
本場を知るためにアメリカ、ロサンゼルスの語学学校へ見学に行く。 セブで学んだ英語で困らなかったことやマンツーマンで短期で身につくセブ留学の実力を確信。 皆さんにこの素晴らしさを伝えるために留学エージェントを始める準備に入る。 |
2013年 2月 | 留学エージェントをスタート |
英語が話せるようになるまでのステップ 〜英語を身につけるには順番がある!〜
英語の勉強を何から始めていいか分からないまま参考書を買い込んだり、つぎはぎの勉強法をしている人が多いです。
初心者が英語を着実に身につけるには順番があります。セブ留学であれば、インプット(学習)しながらアウトプット(スピーキング)ができるので、集中して一気に身に付けることができます。
私はこの順番に気づくまで、留学をスタートしてから4週間もかかってしまいました。この経験を活かして、みなさんは無駄な時間を使わないように、留学カウンセリングでは英語が話せるようになるまでのステップをアドバイスさせていただいてます。
仕事で英語を使ってきたから必要なアドバイスができる
外資系ラグジュアリーブランドにて、一流企業で求められる英語力を学びアジアの日系企業や外資系企業にて、アジアで求められる英語力について学んできました。
現在はアジアやアメリカの企業と英語で仕事をしていたり、提携先のグローバル人材塾を通して海外就職対策の英語について常に最新情報を仕入れています。
そのため、仕事で必要な英語力のレベルが分かりますので、ビジネス英語で悩んでいる方の相談にも乗ることができます。仕事で使える英語力を理解した上で、学校の選定を行っています。